スタートのJR関ヶ原駅。 8:00。 | 観光案内所はまだ開いていません。 案内地図で確認してスタート。 |
駅を出てすぐの国道が中山道。 関ヶ原宿の脇本陣跡。 |
西の首塚。 東西両軍の戦死者数千の 首級を葬っています。 ここでガイドマップをゲット♪ |
最初の陣跡は、福島正則陣跡。 東軍の先鋒です。 西軍副大将宇喜多秀家に 対陣しています。 | |
不破の関跡。 東山道時代。三関(さんげん)の1つ。 美濃不破関(東山道) 伊勢鈴鹿関(東海道) 越前愛発関(北陸道) |
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藤古川。 壬申の乱では、この川を挟んで、 西に弘文皇軍、東に天武天皇軍が 陣しました。 | |
若宮八幡神社入り口 JRの線路を越えて、 大谷吉継陣跡への近道 今日は回り道をしていきます。 |
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中山道を少し進んで、黒血川。 壬申の乱では、ここで激戦がおき、 両軍の兵士の流血で川底の岩石を 黒く染めたことから この名が付きました。 | |
大谷吉継陣跡 大谷刑部少輔吉継。兵の数千五百。 石田三成の親友。 再三、三成に思い止まるように 説得しましたが・・・。 癩病を患い、布で顔を覆って、 目も見えなくなっての参戦。 輿に乗って、死に装束での出陣。 |
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この辺りは山の中です。 気持ちよく走ります。 |
陣地からすぐ近くに、大谷吉継の墓。 敵方の藤堂家が建てたものです。 |
樵(きこり)だ! ロープ(ベルト?)だけで 木に登って枝払い。 | |
宇喜多秀家陣跡。南天満山。
西軍の副大将。五大老の一人。兵は1万7千。 中山道をおさえた。東軍の福島正則隊と激戦。 | |
開戦地。 9月15日午前8時。 福島正則が宇喜多隊に一斉射撃。 井伊隊も島津隊に攻撃を開始。 合戦の火蓋が切って落とされました。 | |
小西行長陣跡。 北天満山。 兵の数、六千余。 東軍の田中吉政、筒井定次らの 部隊と奮戦する。 |
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島津義弘陣跡が見えてきました。 特大の幟です。 |
島津義弘陣跡。 島津維新義弘。 島津豊久、長寿院盛淳、山田有栄。 兵は千五百名。 専守防衛、陣地を侵すものとのみ 戦いました。 |
石田三成陣跡。 笹尾山。 島左近を左翼に 蒲生郷舎を右翼に配し、 東軍を相手に死闘。 | |
島左近、蒲生郷舎は山裾に陣。 三成の陣は、山上。 山上からは、 関ヶ原全体が見渡せます。 |
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笹尾山にある『関ヶ原合戦陣形図』 手前のボタンを押せば 解説の音声が流れます。 | |
現在のパノラマ写真。解説の音声を聞きながら、現場を眺めると、 合戦の様子が見えてくるような錯覚に襲われます。 | |
決戦地。 西軍が有利な陣形で戦うなか、 小早川秀秋らの寝返りで、 戦況は一変。 西軍の配色が濃くなり、 三成陣前のこのあたりは 最大の激戦のあったところです。 |