京の六地蔵巡りA

皇塚〜ネジリマンボ

山科地蔵には予定通り9時に着きました。
あちこちで地蔵盆の用意をしていました。
京都は地蔵盆がどこでも地域に密着しています。

地蔵尊は小野篁(おののたかむら)が作ったものと伝えられています。
平安時代の初め篁公が熱病を患い意識を失って、地獄に落ちた人々の
苦しんでいる姿を見ました。その時一人の僧が人々の苦難を救っている
場に出会いました。その僧は「私は地蔵菩薩である」と名のられ「この
地獄だけでなく、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上など六道の迷いの世界を
巡りながら縁のある人々を救っている。全ての人々を救いたいが、
縁のない人を救うことはできない。私にとっても残念な事だ。貴方は
この地獄の苦しい有様と地蔵菩薩の事を人々に知らしめて欲しい」と
聞いて蘇った篁公は、木幡山から一本の桜の木を切り出して、
六体の地蔵菩薩を刻み納めました。(大善寺の説明板より)

地蔵尊は初め伏見六地蔵の地にあった。後白河天皇は、都の守護、
都往来の安全、庶民の利益結縁を願い、平清盛、西光法師に命じ
街道の出入り口六箇所に一体ずつ分置された。(徳林庵の説明板より)

皇塚→山科地蔵→五条の別れ→車石→ネジリマンボ

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「皇塚」もともとこの地に円墳が
あったそうですが、いま碑だけです。
「みぎうじみち」「ひだりおおつみち」
井戸があります。
ここを過ぎて左へ入りました。
「左 蓮如上人南殿御旧地
 并両御坊みち」
山科地蔵、徳林庵です。 六角堂に安置されています。
本日地蔵盆も行われるようで
用意がされていました。
お地蔵さんも公開されていました。
これがお幡(はた)です。
お幡(お札)は1体300円です。
井戸のポンプです。
水は出ませんでした。
井戸の横には道標
「伏見六ぢざう」「南無地蔵菩薩」
諸羽(もろは)神社です。
天孫降臨の神話の中で、
ににぎの尊の左右に従った
天児屋根命と天太玉命を
祀っています。
東海道の碑です。
「京三条はし迄一里半」
「大津札の辻まで一里半」
碑の後には車石があります。
山科の駅のすぐ近くにも
新しい石碑があります。
「五条の別れ」です。
ここから南へ行けば五条へ出ます。
「右ハ三条道」
「左ハ五条橋 みぎ ひだり
 六条大仏 今ぐまきよ水 道」

南へ下りました。
1号線の石屋の敷地に
碑がありました
平成二十年三月建立です。
少し南へ下がったところにも
道標があります。
「いまくまのミち」
「東六条 今くま 道」
「すぐ大つ道」
三条通の旧道(たぶん)に
「亀の水不動尊」がありました。
亀の口から井戸水がでています。
国道1号線に合流したところに
車石と牛車道の再現がありました。
疎水の蹴上インクラインの下の
トンネル、ネジリマンボです。
トンネル内のレンガが
斜めに配置されています。

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