京街道D

佐太渡船場跡〜意賀美神社

仁徳天皇が淀川の改修を命じて築いたのが茨田堤です。
2箇所だけ、どうしても流れが強く堤が切れてしまうところがありました。
現在の寝屋川市太間町と大阪市旭区の千林と言われています。

夏休み最後の日曜日、明日から始業式。
河川敷には親子連れを中心にたくさんの人がいました。
出口から枚方宿は街道らしい建物が残っています。

佐太渡船場跡→茨田樋之跡→茨田堤→出口→枚方宿→意賀美神社

→今回のルートマップ←



京街道トップへ    戻る    次へ

国道と堤防の間に
「淀川筋佐太渡船場」の碑
ここからまた堤防を走ります。
「茨田(まった)樋之跡」の碑
水辺公園になっています。
淀川から生活用水、農業用水を
引いていた樋が、かつては
たくさんありました。
洪水のときの決壊の恐れがある
とのことですべて廃止されました。
堤防にも看板がありました。
「茨田(まんだ)堤」の碑

日本書紀でてきます。
仁徳天皇が淀川沿いに築かせた
とされる堤防です。
出口の町並みです。 蔵が目立ちます。高床なのは洪水対策でしょう。
親鸞聖人 蓮如上人 御田地
奥に蓮如上人が腰掛けて説法した
とされる「腰掛石」があります。
光善寺です。
枚方公園駅付近。桜町にも街道らしい建物が続きます。
鍵屋です。
当時は枚方宿の船宿でした。
今は、枚方市の資料館に
なっています。
枚方宿や東海道57次(京街道)に
ついて詳しく説明されています。
枚方宿は建物がしっかり保存されています。 補修や改修も行われています。
木南喜衛門家 田葉粉屋 です。
浄念寺です。
ここで道は枡形に曲がっています。
枡形に曲がっているのは
本陣の防御のためでしょう。
コースから少しそれて京阪の踏切を渡ります。
少し大阪方面へ行くと階段の上は台鏡寺です。
当時は遊女のお参りで賑わったです。夜歩き地蔵さんもおられます。
階段を上がると
意賀美神社(おかみじんじゃ)
意賀美神社の本殿です。
境内には万年寺山古墳があります。

京街道トップへ    戻る    次へ