中山道D

高宮〜六軒茶屋

早朝に出発したかったのですが、朝食バイキング
付きだったので、朝食後に出発することにしました。
鳥居本宿は、現役の薬屋や合羽屋の看板が残っていたりします。
摺針峠は山道も残っています。峠を越えれば、番場宿。

ホテル→小町塚→鳥居本宿→摺針峠→番場宿→久札の一里塚跡→六軒茶屋



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5:20。 夜明け前、快晴です。
今日も暑くなりそう!
6:05。 日の出です。
朝食をしっかり食べて、走るぞ!
R365を越えたところに燈籠と石碑
左は多賀大社への道です。
(振り返って撮影)
街道を挟んで向かいに2基の道標
右の道標には『はらみち』
左は『五百らかん』右面『すぐひこね』
小野小町塚です。
地名も小野町です。
道標『左中山道京いせ』
右面『右彦根道』
右は朝鮮人街道とも呼ばれます。
野洲まで約40km続いています。
8:00
このあたりはもう鳥居本宿
63番目の宿です。
傘の形の看板が上がっています。
合羽の製造販売。
こちらにも傘の看板。 有川製薬。
玄関に『薬局』の文字
和漢健胃薬赤玉神教丸の製造販売。
こちらは現役です!
彦根の街道のモニュメントです。
松並木も残っています。
すぐに、摺針峠の入り口です。
もちろん旧道(山道)を行きます。 階段になっているところもあります。
峠を越えて少し下ると、
道標『摺針峠 彦根』『番場 醒井』
正面の山は伊吹山。
『中山道 番場』の石碑も見えます。
8:40。 番場宿。62番目の宿です。 問屋場跡です。
番場宿は西と東の2つに分かれて います。宿は中世までは上番場(西番場)、
江戸時代に米原湊が開かれたときに下番場(東番場)に移りました。
本陣跡です。建物は残っていません。 番場宿の碑。東側にもありました。
米原への道標です。
『米原 汽車 汽船 道』
陸運だけでなく、水運も盛んでした。
久札の一里塚跡
江戸まで117里
六軒茶屋
彦根藩との境に同じ形の6軒の
茶屋がありました。
今は1軒が残るだけです。
まもなく、醒井宿です。

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